私の母は宮城県の女川町という町で生まれ 育ちました。
私も小さいころから、叔母やいとこが暮らす女川へ遊びに行っていました。
朝になると、
漁港に出入りする船のエンジン音と、
ウミネコの鳴き声がとても賑やかな町で。
ウニや牡蠣や秋刀魚やホヤなどなど。
食べ物もとっても美味しくて。
大好きで大切な場所でした。
震災のあと、少し落ち着いてから行った女川は、
もう私の知っている女川ではありませんでした。
家が流され、町そのものがなくなり、
瓦礫と、なにもない土地だけになっていました。
大好きな家も、残っていたのは玄関の床のタイルだけでした。
ここに暮らしていた人たちが、
どんな想いで流されていく町を見ていたのか。
考えるだけで苦しくて。
あの時の気持ちは一生忘れません。
今は少しずつ、復興に向けて新しい町づくりが進んでいます。
被災されたすべての方々に、安心して生活できる環境が
1日も早く整いますように。
そして今もなお、行方不明の方 身元不明の方が
1日も早く家族のもとへ帰れますように。
平塚。
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